スイスとの国交樹立

GIRARD-PERREGAUX ジラール・ペルゴ

 

 

 

ジラール・ペルゴの歴史の起源は、1791年まで遡ります。スイスのジュネーブにて19歳のジャン・フランソワ・ボットが時計工房を創業したところから始まります。

彼は薄い懐中時計を得意とし歴史に名を残す程の時計師にまで成長を遂げます。イギリスのビクトリア女王も当時の顧客名簿に名前が書き記されています。工房ではムーブメント、ケース、文字盤、ジュエリー、オートマタなどを製作し、国内だけではなく国外にも販路を広げていき経営者としても優れた手腕を発揮しました。

ムーブメント、外装、など全ての部品を自社で、開発、設計、製造しているマニファクチュールの先駆けとなります。

 

その後、1856年にジャン=フランソワ・ポッドの工房をコンスタン・ジラールが引き継ぎ、彼のお嫁さんになるマリー・ペルゴとの名前を合わせて現在の社名ジラール・ペルゴとなります。

コンスタン・ジラールはジャン=フランソワ・ポッドの設計ノウハウや製作技術をそのまま引き継いでいきます。

 

 

1889年に開催されたパリ万国博覧会で「スリー・ゴールド ブリッジ トゥールビヨン」が金賞を受賞し、独創的な設計と芸術的なデザインを融合したこのトゥールビヨンによって名声を確立したジラール・ペルゴの時計は、1890年代にはヨーロッパはもとよりアメリカ合衆国、南アメリカへ輸出し販売されていく事となります。

 

フランソワ・ぺルゴ

 

 

ペリーの黒船来航が1853年。日本とアメリカは、ほどなくして日米修好通商条約を締結しました。

当時のスイスは鉄道が敷設され、盛んだった時計産業と繊維産業の市場を、新しい海外へと開拓する必要に迫られていました。アジア各地にも急速に進出し将来性のある市場として日本にも注目が集まりました。

スイスから日本への使節団を編成すると、1864年2月6日に江戸の長応寺で 第14代将軍・徳川家茂 と スイス連邦 との間で日端修好通商条約が締結されました。この協定調印が締結される以前からフランソワ・ぺルゴは時計販売を日本で営んでいました。

日本に初めて移り住んだスイス人時計師フランソワ・ぺルゴはマリー・ぺルゴの弟になります。この条約は、両国にとって経済的に大きく貢献しスイスの高級時計を正式に日本に輸入する事が出来るようになりました。

 

日本は激動の幕末と言う過度期にあたり、鎖国政策を断念し自国の技術を欧州列強に負けないように西洋の文化を学び、努力を重ねていました。

そんな中、日本は時間の区切り方が「不定時法」と言う独特の方法で西洋とは大きく違いました。スイスの時計を日本に輸入してもそのままでは日本人には使えませんでした。そこでフランソワ・ぺルゴはビジネスを多様化させるしか生き残る道はありませんでした。

 

1873年文明開化により初めての鉄道が横浜から新橋に開通し、これに合わせ政府は定時法「グレゴリオ暦」を導入します。

横浜が小さな漁村から日本有数の港へと大きく発展していく中、フランソワ・ぺルゴは横浜に居を構えます。時計とは別に日本で唯一の炭酸飲料製造会社を設立します。その他にワインやアブサン等も取引をしていました。

急速な産業の発展と定時法の導入により、懐中時計は生活の必需品となり多くの人々の手に渡るようになっていきます。そんな中1977年脳卒中で倒れて亡くなってしまいます。

 

 

今でも横浜外人墓地に静かに眠っています。

フランソワ・ぺルゴを始め多くの偉人のお陰で、日本にもスイス高級時計が認知され今ではスイスにとって日本の成熟した市場はとても重要なポジションを占めています。

 

永世中立国 スイス

 

スイスは,ヨーロッパのほぼ中心に位置し,面積は約4.1万平方キロメートルで,九州とほぼ同じ大きさです。首都はベルンで,旧市街全体が世界遺産になっていることでも有名です。日本と姉妹都市関係にある都市は実に12にのぼります。

 

世界最大の時計生産国であり,多くのハイブランドがスイスに集結しています。 チューリッヒ,ジュネーヴ に次ぐ第3の都市であるバーゼルでは,年に一度世界最大の時計・宝飾品の国際見本市が開かれています。

 

スイスの特徴として挙げられるのが,永世中立国であること,そして国際人道主義発祥の地であるということです。

世界貿易機関(WTO)など,多くの国際機関がこの地に本部を置いており,国際オリンピック委員会(IOC国際サッカー連盟(FIFA国際バレーボール連盟(FIVB)国際アイスホッケー連盟(IIHF),多くのスポーツ関連団体の本拠地になっています。

これは,スイスが中立国であるため,テロや紛争によってその機能が停滞する危険性が少ないということ,そしてホスト国としての公正性を保つことができるためと考えられます。スイス自身も外交政策として,国際機関の誘致や中立外交を積極的に展開しています。

また,ヨーロッパにおける非EU加盟国という立場からも,スイスは国際社会において独自の存在感を発揮しています。特に,精密機器や産業用機械,製薬,化学等の多くの分野において,非常に高い技術水準を有している国です。

世界的な金融センターのひとつでもあり 芸術の分野でも,毎年数多くの国際的なイベントが開催されています。スイス産に上手に付加価値を付ける事で、世界的にも非常に高い経済レベルを維持した先進国です。

 

 

日本とスイスは,1864年の国交樹立(修好通商条約締結)以来,両大戦中を含め,155年間、伝統的に友好関係を継続しており,国際人道法や軍縮・不拡散,防災,保健,ジェンダー等,多くの分野で政策の方向性を共有しています。

両国とも輸出に強く依存し、自由貿易に関しては同じ価値観、農業や食糧自給に関して同じ懸念を共有しています。

スイスがヨーロッパの中心にありながらEUに加盟していないという特別な状況は、多くの日本企業がヨーロッパ本部をスイスに設置することを後押しし、人々が互いの国を訪問することで、ここまで途切れることなく交流が深まって来ました。

 

ヴィンテージ1945 XXL ラージデイト&ムーンフェイズ

 

 

スイス高級時計の中でも日本にゆかりの深いジラール・ペルゴ 「ヴィンテージ1945」は、その名の通り1945年に発表された角形腕時計からインスパイアされた現代コレクションです。

オリジナル・モデルはアールデコを彷彿させる優美なクラシック・スタイルで味わい深く、他に類を見ない永遠の名作にふさわしいタイムレスな魅力を放っています。

 

サイドから見た時にはさらに特色が分かります。ケースと文字盤、風防は大きくカーブし、縦方向のみならず横方向も曲面を描いて、中心が盛り上がっています。

ガラス、文字盤、ケースがフラットではない手法がバランスよく展開される事で、独自の立体感を演出し、手首へのフィット感も素晴らしいです。

 

 

 

文字盤がスケルトンになっており透けて見えるムーブメントが綺麗な仕上げが施されています。

ムーンフェイズと日付が動く様子が文字盤を通して見えるので、通常ではご覧いただけない文字盤側のムーブメントの動きを楽しんでいただけます。

完全なオリジナルのデザイン性を持ち、伝統的な要素を採り入れつつもクラシカルな印象でまとめられているジラール・ペルゴの傑作を是非この機会にご検討ください。

 

ヴィンテージ1945 XXL ラージデイト&ムーンフェイズ

Ref, 25882-11-223-BB6B

素材:ステンレススチール

ケースサイズ:36mm×35mm

 

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https://www.couronne.info/shopbrand/girard-perregaux

 

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